業務部の三浦です。

 

映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』がレンタル解禁されたので先日鑑賞しました。

タイトルに反して中身は決して政治色が強い作品ではありませんが、映画の詳細は避けて考えさせられた事を少し書いてみます。

 

この映画の登場人物の多くは自分ひとりの言葉や行動が集団を変えるかもしれないという『妄想』に取り憑かれています。

個人と組織との間に相関があるという確信がその原動力になっています。

 

一方で現代人の多くは「自分が何を言おうが何を行動しようが社会は変わらない」という主観的な『思い込み』に蝕まれています。

個人と組織との間に相関が乏しいという確信がその諦めに繋がっています。

 

『妄想』と『思い込み』の違いは似た言葉ですが、その違いは前者には強い信念があることです。

その信念は利己的なロジックにて確立された倫理に基づいています。

一方で後者は倫理的ではありません。

倫理的であるという事は、思い悩んだり、ときには強い怒りを感じて暴力的になるほどに『属する集団』や『生』と真剣に向き合い取り組んでいたという事です。

 

映画の最後で三島はこう締めくくります。

「言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び回ったんです。」

「私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということを分かっていただきたい」

 

例えそれが独りよがりな妄想であれ、また虚しい結末を迎えたとしても、人々が熱情をもって生き抜いた時代の言葉と行動に少なからず羨望の念を抱いてしまった事は否めませんでした。

 

どの時代であれ大事なことは自分が属する社会や組織を諦めないことなのでしょう。