総務部の沖本です。
先日「謝罪の王様」という映画がニュースで紹介されていました。
それによると『何事もきちんと謝罪して物事うまく丸めてしまおう(?)」といった内容の映画だそうですが、
これがアメリカで大きな反響をえているそうです。
というのもアメリカでは、「謝罪をする」=「罪を認める」といった風潮があり、
たとえ自分に非があったとしてもむやみに謝ってはいけない。裁判の際に不利になるので謝るな、となるそうです。
そんな文化の中、アメリカのいくつかの州では「Sorry法」というのがあるそうです。
これは不測の事故が起きたときに、加害者が事故の不注意や失敗を認め、思いやりを示し謝罪したとしても、
裁判においてそのことを証拠として採用しないというものです。
この法律はある事故がきっかけで作られたといわれています。
それは,少女が自転車に乗っていた際に自動車にはねられて死亡するという事故で,
その亡くなられた少女の父親が,加害者の運転手に対して何度謝罪を求めても,
訴訟で不利になることを恐れた運転手はそれを拒んだ、というものです。
誰にでも失敗はあります。起こしてはいけないけれども
ちょっとした不注意で不幸な事故が起きてしまうこともあるでしょう。
自分が悪いと意識があるのに、自らの今後を守るために一言の謝罪もできない。
それは加害者にとっても被害者にとってもひどく辛いだけの世界だと思います。
被害者の方は一言心からの謝罪が欲しいと思っているだけかもしれません。
加害者の方は自分のやってしまったことを懺悔する場も与えられません。
今「Sorry法」は医療分野はもちろん、交通事故をはじめとした多くの事故で適用され、
軽微なトラブルによる乱訴を防止し、社会的ストレスを軽減しようとしています。
上記に限らず日常生活でもちょっとした一言で物事がスムーズにいく事があります。
反対に一言なかったゆえに、もしくは言い方を間違ったがゆえに
思いもかけないトラブルに発展する事もあります。
日常の忙しさの中でもみんなで気持ち良く仕事が、生活ができるように
気を付けたいと思いました。