業務部の三浦です。

 最近、毎日のように失言とその失言批判がニュースを賑わせています。
失言批判をする際にコメンテーターが失言をして、逆に当人から批判されるという良くわからないケースもあるようです。

 公人の場合がほとんどではありますが、能力が高く社会の役に立つ立派な仕事をされている方であっても、失言により社会的に失脚させられるケースもあり、言葉1つでその能力の発揮が場合によっては永久的に抑制されてしまう事実に怖さを感じます。

 また、前後の文脈を正確に伝えることなく恣意的に言葉1つを取り上げるようなメディアもあるようで、何か別の目的をもった失言狙いのようなケースもあるのではと勘ぐってしまいます。

 勿論、失言をしないように良く考え言葉を選んで意見することが最も重要ではありますが、集団で議論をする際に場の雰囲気で興奮状態に陥った時や、時間的制約等により言葉の選択を十分に吟味する余裕がなく意見しなければならない時等、思いもよらない言葉を口走ってしまうことがあります。(事実、私も過去に苦い経験もあります。)

 冷静さを失う時点でダメだとか、そもそも根底に悪意があるから失言するのだと言われればそれまでです。

 ただ、聖人君子を除き失敗を繰り返すのが人間であり、大なり小なり自己に内包されている「卑しさ」を表に出さないようになんとか抑制しようとしているのが人間だと思いますので、失言した側には失言を即座に認め謝罪する勇気、失言を受けた側にはそれを瞬発的に攻撃せず、相手が訂正しやすいようにやんわり指摘する優しさが必要なのではないでしょうか。

 普段、言葉に気をつけている人ならば、自分の失言に敏感に気づくはずなので、すぐに訂正・謝罪できるはずです。

 偉そうなことは言えませんが、許し許されで秩序が保たれるという他国にはない日本人特有の美徳(勝手に思っているだけですが)が損なわれ、近年、その気質が外部環境の影響等により攻撃的に変化してきているように感じます。

 国語辞典では、失言とは「言うべきではないことをうっかり言ってしまうこと」であり、暴言とは「礼を失した乱暴な言葉。無礼で、むちゃな発言」、妄言とは「でまかせの言葉」と定義されているようです。

 何度も繰り返すのはダメですが、もしそれが、「うっかり」・・なら、基本的には許してあげるべきなんじゃないかなぁと思います。 

 もちろんその理由が、「うっかり者の私を許して貰いたいから」であることは言うまでもありません。