業務部の三浦です。
バス事故、不倫、事務所離脱問題、汚職・・・。
早いものでもう2月となりましたが1月はとにかく数多くの謝罪を見せられた一カ月でした。
「私たちはね、失敗すると400万個もの言い訳を言えるんだよ。たった1つのお詫びの代わりにね。」
「謝ってほしいと思われている時点で、相手はゆるしたいんですよ。」 等々。
謝罪の格言の多くは「言い訳をせず素直に謝るのが良い」と訓示しているにもかかわらず、海千山千の各分野のトップでさえ謝罪のエラーを繰り返しています。
傾聴、報連相(ホウレンソウ)、話し方、マナー 等々。
コミュニケーションに関するセミナーは多々ありますが、謝罪はコミュニケーションの極めて重要な要素であるにもかかわらず、我々は誰かに謝罪の理論、所作を教わることはほとんどありません。
技術に頼った謝罪は人の心を打たず、本音に頼った謝罪にはリスクがある。
仮に「私は謝罪の技術を教えられる」と胸を張る方がいたとして、その方の謝罪はおそらく誰も聴きたくありませんでしょうから、そもそも本質的に謝罪は人に教わるようなものでは無いのでしょう。
しかし、我々は日々、謝罪の場面(我々の仕事では始末書の徴求等)に遭遇し、受け手はそこに許容と不満のいずれかの感情を抱く訳ですから、謝罪の所作とその結果を注意深く観察おくことで我が身に置き換えた場合の対応にも変化が生まれると思います。
先日、小保方さんが手記を発表されたようです。
相当の月日が経過しましたから、内心「ゆるしたい」と考えている人も少なからずいたはずです。
私はまだ読んでおりませんが、「一片の邪心も無かった」という電車の中吊り広告に不安を感じ、日々通勤しております。