業務部の三浦です。

古典文学者の中西進さんが2000年頃に書かれて大ヒットとなった「日本人の忘れ物」という本に今でもたまに目を通します。
第1巻の巻末にまとめとして以下の4つの提言が為されています。

1)帰属意識を持とう
2)本当の大人になろう
3)深くいのちを愛そう
4)自然を尊重しよう

特に1)の「帰属意識」の欠如は、新型うつやシュガー社員と呼ばれる近年特有の労務問題に通ずる部分があると思います。
例えば、職場の上司にささいなことで注意されただけなのに、その言葉に過剰反応して、「自分のプライドを傷つけられた」と必要以上に悲観的に考え、それが本人にとっては重いトラウマになりPTSD(外傷後ストレス障害)のような症状になってしまうのが「新型うつ」の1例です。
無意識のうちに、嫌な体験をした場所の雰囲気や光景が頭に叩き込まれているせいで、職場で自分を注意した上司の表情を見ただけで、大きく気が滅入るようになります。
そして最終的には労務不能状態に陥ります。

この新型うつの根底になっているのは、過剰な「自己愛」だと言われています。
「帰属意識」は「自己愛」とは対照的な「自分が属するコミュニティーを思いやる気持ち」ですから、帰属意識の欠如が自己愛を醸成しているとも言えます。
勿論、この「過剰な自己愛」はこれまでの環境・外的要因(モンスターペアレンツを畏怖して叱れない教師など)により育まれた側面が大きいのでしょうが、過去は変えることは出来ない訳ですから、労務問題を考える上ではいかにして社員の「帰属意識を高めるか?」が課題となります。
若者の「自己愛化」は社会的な問題ですから、特に社員を選べない中小零細企業では切り捨てれば済む問題でもありません。

では、具体的に帰属意識を高めるためにどうすればよいか?
方法としては、「企業理念の浸透」や「社員同士の繋がり」、「企業文化の構築」、テクニカルな点で言えば「長期雇用を前提とした人事制度の構築」という事に短絡的に思いあたるのですが、どうもいずれもピンと来ません。
特に「長期雇用を前提とした人事制度の構築」については、厳しい経営環境の中で全く逆の施策を取っている企業が増えているのが実情であり、にもかかわらず社員に帰属意識を求めるのは酷というものです。ではどうすればよいか?
成熟期の段階にある労働環境下では、組織原理はメンバーの自立を前提とした方が効果的であり、「帰属意識」というよりも、「当事者意識」を高めるという視点で考えた方が答えに近づくかもしれません。

・仕事の任せ方
・部下が失敗したときの対応
・部下が成功したときの褒め方
・インセンティブ         etc

「当事者意識の向上」という視点で考えれば、いかなる経営環境下にある企業であってもいくらか改善点は見つかるのではないでしょうか?

 
若者が自己愛化した原因について、冒頭で紹介させて頂いた中西進さんが問題点を指摘しておられます。
子を持つ親としての自分への戒めも含め、最後にご参考に転記させて頂きます。


 
『昔は、父親はりっぱだった。それを支えていたのは、儒教でいう「義」だった。
父親は子に義をつくせと孔子はいった。母親は子をかわいがればよいのである。
ところが最近の父親は粗大ゴミなどといわれるのをおそれて、子に耳ざわりのいいことしかいわない。
猫かわいがわりするから母親との役割分担ができず、子どもの方は野放図にかわいがられて大きくなる。
それでは困るのである。
父親は憎まれても道理を教えなければならない。
そもそも「義」という文字は「羊」と「我」から出来ている。
羊は中国で最高の価値あるもので、「義」のある人間はもっとも価値ある「我」である。
「義」に「言」をつけたものが「義」だから、会議とは会合してことばによって美しい自分をつくることだ。(修空館の会議はまさにこのような会議だと思っております)
キリストを抱いたマリア像がある。母は自然に慈をあたえていることになる、ということであろう。
しかし父親は、自然ではいけない。あえて理知を持って道理を教える。
子どもの甘えを時にはきびしく拒否する必要がある。
この父と母の関係を、胸と背中にいいかえることが出来る。
母は子を胸に抱きかかえよ。反対に、父は子に背中を向けよ。
父親が背を向けたために子どもが離れていってしまっては、父親失格である。
自分にあえて背を向けた父親のどっしりと広がった背をみて、子が全幅の信頼感を持ち、先に歩いていく父親の背をみながら後をついていく、そのような父親こそ立派な父親である。(あごひげ先生のお父さんはまさにこのような父親ではないかと思います。)
母親の慈だって、やさしいようでそれほどやさしくない。
自分が優位に立っていなければ愛せないのである。姉妹のような母子など、本当の慈があるのであろうか。
母は子を育て一人前の大人にする。
それは我が身から突き放すことだから、通常の愛、つまりわが身に引き寄せる愛とは逆で、この苦しみに耐える点で、母性愛は最高の愛だ。
いまの日本の母親はよく「あの子もむかしは言うことを良く聞いたのに、近ごろは聞かなくなった」と嘆く。
いつまでも自分の掌のなかにおいておきたいと思うのに対して、突き放すことも愛であるということが理解できていない。
要は夫婦親子それぞれが立場を自覚すること、さらに立場を異にしながら人間的信頼によって結ばれることが、家族という集団を成り立たせるということだろう。』

~「日本人の忘れ物」中西進 (株)ウエッジ より~